「世界の王」さんこと王貞治選手についてまとめていきます!今では、福岡ソフトバンクホークスの取締役会長も務めるほど、日本野球の歴史を語るには、欠かせない人物の一人です。さあ、この記事を読んで王選手の野球人生について学んでいきましょう!
プロフィール
生年月日 | 1940年(昭和15年)5月20日生まれ |
出身地 | 東京府東京市本所区(現:東京都墨田区) |
身長 / 体重 | 177cm / 79kg |
野球歴 | ◎選手 早稲田実業高校 読売ジャイアンツ(1959-1980) ◎監督 読売ジャイアンツ(1976-1988) 福岡ダイエーホークス 福岡ソフトバンクホークス(1995-2008) 日本代表(2006) |
ポジション | 一塁手 |
投球 / 打席 | 左投げ / 左打ち |
キャリアの始まり
王選手は、東京都(現:墨田区)で、父は中国国籍、母は、日本人の間に次男として生まれます。兄が大学で野球を始めたことをきっかけに自身も小学校4年生から野球に打ち込みます。中学に入ると、野球部がなかったたが、急遽素人を集め大会に参加すると、王が投手を務め、区大会優勝を果たします!
早稲田実業高校に入学すると、のちのプロ野球選手が2人誕生する環境で野球を始めます。入部して1カ月で東京都予選決勝に先発すると、完封勝ちを果たします。夏の選手権予選に出場すると東京都予選を勝ち抜き、甲子園に出場します。結果は、1回戦負けであったが、2年生春にエースになると2度目の甲子園出場します。
3試合連続完封を果たすと、決勝では、豆がつぶれながら気迫の投球を披露します。悲願の甲子園優勝を達成します。その後は、注目されるも前年を上回る成績を残せず、高校生活を終えます!
こうして、読売ジャイアンツに入団し、プロ野球選手としてのキャリアに火を灯すのでした。
プロ入り後のキャリアについて
「プロに行くなら巨人」と心に決めていた王選手は、見事読売ジャイアンツに入団を果たします!指導者に打者の才能があると見込まれ、入団後野手に専念します。開幕前からすでに5本の本塁打を放つと高卒新人ながら、7番ファーストで先発出場を果たします。このシーズン放った初安打が決勝2ランホームランとなり、スターへの階段を登ってゆくのでした。
2年目からシーズンチーム最多の17本塁打を放つと、チームの主力選手へと定着します。3年目の1961年に川上監督が就任すると、リーグ優勝と日本一を達成します。同年シーズンオフ、生涯の師である「荒川博」がコーチへ就任します。厳しい指導の中で、部屋の畳がすり減りささくれがたつほどのスイングを荒川コーチとマンツーマン行ったことで「一本足打法」を習得します。彼は、習得したホームで4番に座ると、38本塁打を放ち初めての本塁打を獲得します。その後、引退するまで放った868本塁打を一本足で記録するのでした。
その後当時の新記録となる、55本塁打を放つ活躍やあまりにも長打力があるため、専用の守備シフト「王シフト」が敷かれるほどでした。19年連続30号本塁打を放つなど、弱点の少ないバッターで読売ジャイアンツの黄金期を支えました。現役時代は、868本塁打を放ち、当時の世界記録を樹立し引退します。
当時付けていた背番号「1番」は、功績がたたえられ現在も、巨人の永久欠番に指定されており、世界新記録の756号を達成した年に初の国民栄誉賞も受賞しました。
引退後、監督としても2球団を渡り歩きどちらもリーグ優勝を果たしています。その実績から、2006年に開催された第1回のWBCでは、監督をつとめ侍ジャパンを優勝へ導くなど。選手としても監督としても歴史に名を刻んだ選手の一人です!
プレイスタイルと特徴
王選手の特徴である「一本足打法」で本塁打を量産する長打力が魅力のバッターでした。19年連続30本塁打、3度の50本塁打など数々の記録を打ち立てました。特徴である「一本足打法」は、様々な練習方法で築き上げてきたもので、中には日本刀で紙を斬る練習をするなど独自の練習法でした。
打撃に注目されがちですが、一塁の守備も非常に安定しており、ゴールデングラブ賞の前身であるダイアモンドグラブ賞を9回の受賞をするなどかなり評価されていました。特に、ショートバウンドの処理、バント処理などのグラブ捌きは一級品だったそうです!
人物像
筆者自身心に打たれた言葉を3つ厳選してみました。特に最後の言葉には、逆風=人生ともとらえられる言葉で王選手の考え方が強く反映されていると感じます。ここまで偉大な記録を打ち立てるには、苦しいこともたくさんあったと思いますが、普段生活している私たちにも勇気を与えてくれる言葉たちですね!
あなたの人生を前向きにさせてくれるそんなきっかけになれば筆者としても嬉しい限りです。
数字で見る選手の実績
実働(1959年~1980年 21年間)
通算安打:2786本
通算本塁打:868本
通算打率:.301
獲得タイトル
- 首位打者:5回(1968年 – 1970年、1973年 – 1974年)
- 本塁打王:15回(1962年 – 1974年、1976年 – 1977年)
- 打点王:13回(1962年、1964年 – 1967年、1971年 – 1978年)
- 最多出塁率:12回(1967年 – 1978年)
- 最多安打:3回(1969年、1970年、1973年)
表彰
最優秀選手:9回(1964年 – 1965年、1967年、1969年 – 1970年、1973年 – 1974年、1976年 – 1977年)
ベストナイン:18年連続18回(1962年 – 1979年)
ダイヤモンドグラブ賞:9年連続9回(1972年 – 1980年)
野球殿堂競技者表彰(1994年)
国民栄誉賞(1977年)
記録
三冠王2回(1973年- 1974年)
サイクル安打
通算本塁打868本(世界記録)
背番号
読売ジャイアンツ(選手時代~監督時代):1番(永久欠番)
監督時代:89番(ダイエーホークス~ソフトバンクホークス時代)
・これだけ見ていても、様々な記録を残されていたことが伝わりますね!特に、初の国民栄誉賞受賞を果たすなど野球界だけではなく、日本のスターともいえる存在です!
まとめ
今回は、王選手についてまとめました!現在でも、福岡ソフトバンクホークスの会長として日本野球界を引っ張る存在として君臨し続けています。彼が残した、記録や人柄もファンの記憶に残り続けていくことでしょう!最後まで、お読みいただきありがとうございました。