こんにちは!いつもご覧いただきありがとうございます。今回は、鉄腕で唯一の400勝達成投手金田選手についてまとめていこうと思います!偉大な記録を残した彼の野球人生は一体どのような生い立ちだったのでしょうか?最後までよろしくお願いします。
プロフィール
(画像引用元:国鉄、巨人で投手として活躍し、通算400勝を達成した金田正一さん ― スポニチ Sponichi Annex 野球)
生年月日 | 1933年(昭和8年)8月1日 |
出身地 | 愛知県稲沢市 |
身長 / 体重 | 184cm / 73kg |
野球歴 | ◎選手歴 名古屋電気高校(現:愛工大名電高校) 享栄商業高校中退(現:享栄高校) 国鉄スワローズ(現:ヤクルトスワローズ) (1950年ー1964年) 読売ジャイアンツ(1965年ー1969年) ◎監督歴 ロッテオリオンズ(1973-1978,1990-1991) |
ポジション | 投手 |
投球 / 打席 | 左投げ/ 左打ち |
キャリアの始まり
(画像引用元:金田正一400勝の秘密!先発、救援と「殿堂入り2人分」の活躍 | FRIDAYデジタル)
金田選手は、在日韓国人2世として愛知県稲沢市に生まれます。幼少期は、戦後間もなかったため非常に食べるものも少なかったため、貧窮したといいます。14歳になると、近所の少年に野球をしようと誘われたことで野球を始めます。その後、高校の名古屋電気高校(現:愛工大名電高校)でも野球を続け途中で享栄商業(現:享栄高校)へ編入します。編入後は、恩師である芝茂夫氏と出会い、徹底して走り込みを行います。高校2年・3年と県予選で敗退したものの、3年夏の予選敗退後高校を中退します。その後、設立当初の国鉄スワローズ(現:ヤクルトスワローズ)に入団することで彼のプロキャリア始まりました。
プロ入り後のキャリアについて
(画像引用元:“400勝投手”金田正一氏が死去…王さん「大別格な投手だった」 | ショウアップナイター)
プロ入り後、即戦力として期待され17歳ながらプロ初登板を果たします!その後も着々と登板数を増やし、シーズン途中の8月デビューながら、8勝を挙げました。翌年の1951年の全107試合中44試合に先発登板し、なんと9月5日の対大阪タイガースでノーヒットノーランを達成します。(18歳35日で達成は史上最年初)
同年で22勝を達成し、その後14年連続20勝を記録します。1951年以降3年連続で、最多奪三振を達成します。
1957年シーズンの8月21日の中日戦では完全試合を達成します!登板の前日は、下痢して体調を崩していた中で達成してしまうのです。NPBの公式戦で左腕投手で完全試合を達成したのは彼一人です!この年は自身初の最多勝、最優秀防御率を獲得し、さらに沢村賞まで受賞します。
1963年には、通算311勝を記録しプロ野球歴代1位に躍り出ます。この年はシーズン30勝を記録します。それ以降セ・リーグで達成した選手はいません!
巨人に移籍後、チームの9連覇に貢献し在籍した5年間で公式戦の開幕投手に4度抜擢されるなど川上哲治監督率いるチームの柱として投球を続けました。在籍中には、14年連続の20勝記録が途切れるも、日本球界初の400勝を達成します。記録達成後、現役引退することを決め選手としてのキャリアを終えます。
プレイスタイルと特徴
(画像引用元:【今日は何の日?】金田正一の「史上唯一の400勝」から54年 実弟が明かした知られざる素顔とは(小林信也) | デイリー新潮)
長身から繰り出される速球と縦に大きく変化するドロップ、スローカーブの3種類で通算400勝を達成するという現代野球では考えられないほど、卓越した投球術を持っていました。
下半身主導の弓を引くように流れる投球フォームです。当時の金田選手と対戦した選手は、「150キロ後半から160キロ台は出ていただろう」と話すほど、早い球を投げていたという意見が多くみられました。
決め球であるカーブも「真上から曲がってくる」、「バッターの直前まで頭の高さで球が来て、ボールになるかと思ったらストライクになった」など、かなりの変化量を誇っていたといいます。
奪三振の高さが特徴ではありましたが、打撃としてもかなり優れたものをもっており、通算本塁打を38本も記録しています。
人物像
(画像引用元:プロ野球:金田正一さん死去、前人未到400勝 ロッテ監督で日本一 86歳 [写真特集6/17] | 毎日新聞)
金田選手が残した名言をいくつかご紹介します!
有名な言葉を抜粋して紹介させていただきました。この言葉から、金田選手が残してきた結果から発言の説得力がかなりあります。目先の誘惑から負けないことが、成功への近道だということが分かる言葉です!読者の方々も、この言葉を基に日常生活に活かしていただけると嬉しいです!
数字で見る成績
(画像引用元:プロ野球:金田正一さん死去、前人未到400勝 ロッテ監督で日本一 86歳 [写真特集10/17] | 毎日新聞)
実働(1950年~1969年 20年間)
通算成績:471勝
獲得タイトル
最多勝利3回 (1957年、1958年、1963年)
最優秀防御率3回(1957年、1958年、1965年)
最多奪三振10回(1951年 – 1953年、1955年、1956年、1958年 – 1960年、1963年、1964年)
表彰
沢村栄治賞3回 (1956年 – 1958年)
ベストナイン3回(1957年、1958年、1963年)
野球殿堂競技者表彰(1988年)
記録
通算400勝
通算4490奪三振
公式戦開幕投手:14度(国鉄10度・巨人4度)
背番号
34番(永久欠番)
・現役時代、20年の現役生活のうち、14度も開幕投手を務めるなど、とんでもない力を持った投手だったことが分かります!現代野球では考えられない400勝以上を達成するなど、現役時代の投球を見たかった選手の1人です。今後、このような選手が現れてほしいものです。
まとめ
金田選手の成績を見るととんでもない400勝をあげるなど前人未到の記録を達成した怪物投手だったことがわかります。現代野球においては、200勝すると大投手と呼ばれるほどの記録ですが、2倍以上の数字を1人で積み上げたことは、今後も野球界で語り継がれること間違いないと思います。BBLifeでは、今後も名選手についてまとめていこうと思います!最後までお読みいただきありがとうございました。