皆さんいかがお過ごしでしょうか。選手を紹介する記事は、7記事目です!今回は、130キロながら針に糸を通すようなコントロールを持っていたレジェンド北別府学選手について記事を書きました。最後までお付き合いよろしくお願いします!
プロフィール
(画像引用元:国鉄、巨人で投手として活躍し、通算400勝を達成した金田正一さん ― スポニチ Sponichi Annex 野球)
生年月日 | 1957年(昭和32年)2月12日 |
出身地 | 鹿児島県曽於郡末吉町(現:曽於市) |
身長 / 体重 | 181cm / 85kg |
野球歴 | ◎選手歴 宮崎県立都城農業高校 広島東洋カープ (1976年ー1994年) ◎コーチ歴 広島東洋カープ(2001年ー2004年) |
ポジション | 投手 |
投球 / 打席 | 右投げ/ 右打ち |
キャリアの始まり
(画像引用元:金田正一400勝の秘密!先発、救援と「殿堂入り2人分」の活躍 | FRIDAYデジタル)
北別府選手は、1957年に鹿児島県曽於郡末吉町(現:曽於市)で誕生します。
中学に入学すると、テニス部に入部しますが、校内で行われた野球大会で活躍したことで、野球部に天部します。その後、「朝、昼、夜」と1日3回の練習を行いエースピッチャーへと成長します。
その後、隣町の高校(宮崎県立都城農業高)へと進学します。毎日片道10キロ以上を自転車で通学していたといいます。野球部に入部すると1年生からエースとして活躍します。高校2年生の夏の予選では、準決勝で敗れるも、3年春の九州大会では、完全試合を達成します!
迎えた最後の夏の大会も、準決勝で敗れ甲子園には出場できず高校野球を終えます。
当時の北別府選手は、全国大会に出場していなかったため、無名の存在でした。その後、1975年のドラフト会議で広島東洋カープに1位指名を受け、プロの門を開いたのです!
プロ入り後のキャリアについて
(画像引用元:“400勝投手”金田正一氏が死去…王さん「大別格な投手だった」 | ショウアップナイター)
入団して1年目の1976年に「精密機械」と呼ばれる制球力を遺憾なく発揮し、10月12日のヤクルトスワローズ戦でプロ初勝利を飾ります!武器となった抜群の制球力は、球速では他のピッチャーに敵わないと感じ、制球力を磨くことを決めたことで身に着けました。
翌年の1977年には、開幕から1軍に帯同し、先発の一角として定着すると、中日ドラゴンズ相手に完投勝利を挙げるなど、1年目に比べて大きく飛躍します。
3年目には、キャリア初の2桁勝利を達成し、チームのエース格へと成長すると、1979年には17勝を挙げチームのリーグ優勝へと導きました。この年以降、11年連続で2桁勝利を達成します!
1985年には、10月のみで4度の完封をすると、チームのリーグ優勝に貢献します。この年には、最多勝・最優秀防御率・MVP・沢村賞・ゴールデングラブ賞を獲得し、投手タイトルを総なめします!
1992年には、20世紀最後のキャリア通算200勝を達成すると球団初の1億円プレイヤーとなり球史に名を残します。2年後には、引退を表明すると引退登板がこの年に叶わず翌シーズンのオープン戦で登板し、引退します。
引退後は、4年間広島東洋カープの投手コーチを務めるなど、野球界の発展に大きく貢献しました。毎年故郷の小・中学生を対象に野球教室を開催することから、多くの人物から尊敬されていた人物です!
プレイスタイルと特徴
(画像引用元:【今日は何の日?】金田正一の「史上唯一の400勝」から54年 実弟が明かした知られざる素顔とは(小林信也) | デイリー新潮)
正確無比な制球力を持っていたことから「精密機械」と呼ばれます。最高球速144キロながら、多彩な変化球を駆使し打者を翻弄しています。特にスライダーが一級品で、内角と外角の投げ分けが得意です。
当時長年バッテリーを組んでいた広島東洋カープの達川光男選手は、「ミットを動かさずに捕れる」と制球力の高さを評価しています!
引退後の投手コーチ時代も、ストラックアウトに挑戦するとパーフェクトを達成するなど制球力の高さがうかがえるエピソードです。
人物像
(画像引用元:プロ野球:金田正一さん死去、前人未到400勝 ロッテ監督で日本一 86歳 [写真特集6/17] | 毎日新聞)
北別府選手が残した名言をいくつかご紹介します!
北別府選手の名言を3つ抜粋させて頂きました!どの言葉も説得力はありますが、筆者自身一番心を打たれたのは、3つ目です。投手というポジションは制球力が大切です。私も学生時代投手をしていたのですが、この言葉とは、真反対で制球力に不安があり常に「フォアボールを出すんじゃないか」と不安になっていました。この言葉から、彼の自信が伺えます!
数字で見る成績
(画像引用元:プロ野球:金田正一さん死去、前人未到400勝 ロッテ監督で日本一 86歳 [写真特集10/17] | 毎日新聞)
実働(1976年~1994年 19年間)
通算成績:213勝
獲得タイトル
最多勝利3回 (1982年、1986年)
最優秀防御率1回(1986年)
最高勝率3回(1985年、1986年、1991年)
表彰
沢村栄治賞2回 (1982年 、1986年)
ゴールデングラブ賞(投手部門:1986年)
ベストナイン2回(投手部門:1982、1986年)
野球殿堂競技者表彰(2012年)
記録
通算200勝
オールスターゲーム出場7回(1979年 – 1983年、1988年、1992年)
背番号
現役時代:20番(1976年 – 1994年)
投手コーチ時代:73番(2001年 – 2004年)
・記録からみても、沢村賞を2度達成しているなど、様々なタイトルを獲得していることが分かります!現代野球では、140キロ台が最高球速の投手が少なくなってきましたが、持ち味の制球力を武器にこれだけの記録を残した偉大な選手が存在したのですから、似たようなタイプの投手が今後現れてほしいと思います!
まとめ
北別府選手についてまとめてみました!160キロ台を出す投手が現代野球では存在する中、140キロ前半の球速で打者を翻弄した彼の投球術が現代野球で通用するのか見たかった選手の1人です!早い球を投げることが出来なくても、制球力を磨くことで活躍する術があるということを彼が証明しています!最後まで、お読みいただきありがとうございました。